インタビュー

株式会社コペル代表取締役・大坪氏が「自分は周りと違う」と気づいた瞬間

2021年12月23日 17:21

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    近年、「生きづらさ」を理由に医療機関を受診し、大人になってから「発達障害」が発覚するケースが増加しています。「生きづらさ」の理由のひとつとして、周囲の人の知識や理解が不足していることが挙げられるでしょう。30年前から幼児教育に取り組んでいる株式会社コペルの代表取締役であり、自身がADHDであると公表している大坪信之氏は、「幼稚園に入園した初日から問題児だった」と語っています。本記事では、大坪氏の幼少時代に迫っていきます。

    「大坪君がいるから幼稚園に行きたくない」と言われた幼少期

    私が幼少のころは、「発達障害」という概念が世間に知られておらず、教師でさえ発達障害の症状を理解していませんでした。そのため、発達障害の子どもは「言うことを聞かない子」「しつけがされていない子」と判断されるしかありませんでした。

    ADHDの私は、幼稚園に入園した初日から問題児でした。集団遊びのルールを守らない、積み木で欲しい形があれば隣の子の作品を壊してでも手に入れる、男女関係なく自分の気分で叩いたり嚙みついたりする。毎日先生に叱られ「どうしてこんなところに来ちゃったんだろう」「何がいけないの?」と悲しい思いをしていました。

    私の傍若無人な行動は、周囲には「悪い子」そのものですが、本人は「やりたいからやっている」のであって、悪気はまったくありません。しかし、周囲の目は徐々に厳しくなり、ついには「大坪君がいるから幼稚園に行きたくない」という子まで出てきました。それでも私には何がいけないのか理解できていませんでした。

    女の子の顔に石を投げつけても、なぜいけないのか理解できない

    小学校では入学してすぐに「起立礼」ができないと叱られました。全員がじっとしないと「礼」の号令がかからないのですが、先生は「私がふらふら動いているから礼ができない」と指摘するのです。私は全力で「じっと」しているのですけれど、どうやら体が動いていたのでしょう。教室の前に立たされて、何度も練習させられて、それでもできなくて叱られて。「あー、また、とんでもなく恐ろしいところに来てしまった」と肩を落としました。

    とはいえ、感情が高ぶると手が出る癖は相変わらず。女の子の顔に石を投げてけがをさせたこともありました。話をするのも苦手。そんな私と仲良くしてくれる子がいるわけもなく、「友達」と呼べる子は一人もいませんでした。でも自分では「友達がいない」事実を、明確には認識できていなかったと思います。

    暴力を払拭するきっかけになった誕生日会事件

    「友達がいない」ことを思い知らされたのは「誕生日会事件」が起きたときでした。

    友達を招いて誕生日会をするのが流行っていたので、私も自分の誕生会を企画したのです。誰を呼ぶかじっくり厳選して10人の子に招待状を渡しました。10人分のお菓子を用意して三角帽子をかぶってわくわくしながら待っていましたが、ご想像の通り、誰一人来てはくれません。

    夕方になったころ、母が「どうしたのかしら?」と言ったのですが、そのときのさびしそうな母の目を見て、心配をかけていると悟りました。とりつくろうように「10人分のお菓子が食べられて嬉しい」とはしゃいで見せたものの、虚しい空気は払しょくできません。

    このとき、私は「友達がいない」寂しさを実感しました。そして、自分が暴力をふるうことがこの寂しさを招いている原因だと気づいたのです。この時から、私は一切の暴力を封じました。そのかわりに「いじめ撲滅運動」と題し、小さないじめも制止するようになったのです。

    生きている間は楽しむと決めた12歳

    暴力は封印したものの、パニックを起こして座り込んで泣き出したり、話がまともにできない変わり者。クラスメートは近づいてはくれません。小学校3年生の時には、一人の男子生徒がヒーローカードを配って「大坪と口をきくな」と買収したこともあり、本当に独りぼっちになってしまいました。

    唯一の楽しみは本を読むことでした。小説だけでなく、百科事典も何度も読み直していました。そして12歳になったころ、以前から抱いていた「死んだらどうなるか?」という哲学的疑問にぶち当たりました。考え抜いても答えが出ずに、最後は「それなら死んでしまおう」と結論づけたのですが、その瞬間に新たな生き方がひらめいたのです。

    「死んでどうなるかわからないなら、今生きている世界は、夢のようなもの。楽しく幸せに生きればいい」と。そこから私の人生は「楽しいことをする」がメインになったのです。中学時代も親しい友達はできませんでしたが、自分なりに楽しく過ごそうとしていました。

    高校時代には私と同じようにはみ出した男子と仲良くなりました。あまり会話もなく、休み時間を同じ空間で過ごすだけでしたが安心感はありました。この頃にできた友達とは、今も繋がっています。

    偏食、乗り物が苦手、人の話が聞けない…苦手は山ほどあった

    大人になるまでの私が困っていたことは、友人関係だけではありません。小学校高学年くらいまで、ほとんどの肉と魚が食べられず、給食もほとんど手を付けられない偏食で、「骨川筋衛門」と呼ばれるくらいやせていました。

    電車もバスに乗ると苦しくて仕方がない、激しい感情が時々わいてくる、人の話を聞けないなど、おそらく多くの人が難なくこなしている日常が、私には困難だったのです。

    小学校から高校まで、こんな私のために母親は常に誰かに謝っていました。教師、周囲の保護者、クラスメート……。私のために謝る人生だった母ですが、私のことを怒ったことは一度もありませんでした。「あなたはいい子」それが母の口癖でした。

    母の私への接し方が、今の私をつくったのは間違いありません。次回はそんな母の話をさせていただきます。

    大坪 信之

    OTUBO NOBUYUKI

    株式会社コペル 代表取締役/福岡大学 人間関係論 非常勤講師/一般社団法人徳育学会 会長/日本メンタルヘルス協会公認カウンセラー

    1963年福岡県生まれ。日本アイ・ビー・エム株式会社を経て、現在、子どもの瞳を輝かせ続ける徳育教室コペルの代表として心の教育を志し、様々な研究に取り組み続けている。全国各地で、子育てセミナーや子どもの潜在能力を引き出すための講演活動を通じて、たくさんの親子にアドバイスを行う。良好な親子関係を構築するファミリーダイアログなど、多様なオリジナルプログラムを開発実施して活躍している。著書に『偉人を育てた母の言葉』(致知出版社)、『あなたの言葉で子どもは育つ』(プレジデント社)、『きみの可能性は無限大』(少年写真新聞社)がある。