インタビュー

株式会社コペル代表取締役・大坪氏が語る「我が子を信じること」の重要性

2021年12月23日 17:39

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    「生きづらさ」を理由に医療機関を受診し、大人になってから「発達障害」が発覚するケースが増加しています。「生きづらさ」の理由のひとつとして、周囲の人の知識や理解が不足していることが挙げられるでしょう。30年前から幼児教育に取り組んでいる株式会社コペルの代表取締役であり、自身がADHDであると公表している大坪信之氏は、「幼稚園に入園した初日から問題児だった」と語っています。本記事では、大坪氏の経験から、親子関係の重要性について迫ります。

    何があっても怒らない。母の教育方針

    私は生まれてから今まで、一度も母に怒られたことがありません。本当に、ただの一度もです。

    「いい子」だったから? いえいえ、むしろ「悪い子」でした。理由もなく周囲の子をたたいたり、かんだり。ルールは守れないし、じっと座っていられない。そのうえ偏食。感情が高ぶると座り込んで大声で泣き続けます。誰がどうみても、人に迷惑をかける「嫌われ者」の「悪い子」でした。

    当然ですが、幼稚園から高校まで、母は何度も教師に呼び出され、同級生の保護者からはバッシングを受け続けていたはずです。しかし、私に対して怒ることは、一度たりともなかったのです。

    学校に呼び出されたあとは、「〇〇君が学校に来たくないって言ってるんだって。大坪君のせいだって話してたよ」と事実は教えてくれますが、たしなめることも怒鳴ることもなく、ニコニコしているだけでした。

    幼稚園で音楽教室のグループレッスンに通っていたときは、レッスンのたびに母は先生から怒られていました。私が椅子に座らず、床にゴロゴロ寝そべってレッスンを受けていたからです。「ちゃんと座らせてください」と先生が言うと、母は「はい」とうなずき笑顔のまま。私に注意することはありません。今思えば、先生も他の保護者もイライラしていたはずですし、母は針の筵だったはずです。

    でも母の周りを意に介さない対応で、私は毎回のレッスンを床に寝そべったまま、最高な気持ちで楽しむことができました。音楽を大好きになったのは、この時の母の忍耐があったからにほかなりません。のちに独学でピアノを学び、中学時代には合唱コンクールの伴奏を務めるまでになったのです。

    魔法の言葉は「あなたはいい子」。それだけで自分に自信を持てる

    決して怒らない母親が、トラブルがあったときに私に向ける言葉は、常にひとつでした。

    「あなたはいい子」

    物心ついたときから、この言葉を天然のシャワーのように浴び続けてきました。ですから、本当に自分はいい子だと信じ切っていました。世の中でもっとも信頼している人に「いい子」と言われたら、それはもう、揺るぎない真実として心の底に根付いていくものです。

    なぜ、母が私を怒らなかったのか大人になってから聞いてみたのですが、それでも「あなたはいい子だったから」と答えました。もちろんそんなわけはなく、母は私が乳幼児のころから「この子はふつうの子ではない」と悟っていたようです。

    3歳になっても言葉がほとんど出なかったこともあり、病院に連れて行ったそうですが、当時は「発達障害」を診断できる医師は少なく、舌小帯の短縮と判断され手術をすすめられました。しかし母は医師の言葉には従わず治療を受けることはありませんでした。この子は「特別な子」と確信していた母は「絶対に怒らない」と心に決めて、私を育てたのだそうです。

    ひとつ申し上げておくと、母はどんなことが起きても笑っていられるような仏のような性格なわけではありません。3歳上の兄に対しては、それはそれは厳しく、ことあるごとに怒っていました。どこの母親もそうであるように「正しい道を歩んでほしい」との思いで、兄に対しては怒り、教え育てていました。

    反省文を読む息子に涙した母。その真意とは…

    そんな母の涙を見たことがあります。高校時代に停学処分を受けてしまったときの話です。私は教師と母の前で「二度とこのようなことはしません」といった主旨の、自分で書いた反省文を読まされました。ふと、隣に座る母を見ると、涙をぽろぽろ流していたのです。

    驚きました。何が悲しくて涙を流しているのか、私にはわからなかったのです。帰宅後「どうして泣いたの?」と尋ねると「立派に話しているあなたをみて素晴らしいって思ったの。あなたは本当にいい子ね」と褒めてくれました。わが子の不甲斐なさに流す涙ではなく、喜びの涙だったわけです。

    目標ができると頑張るADHDの性格と、母の教育がコペルの原点

    母は「いい子」というだけでなく、何をしても手放しで褒めてくれました。失敗や出来の悪さを指摘されたこともありません。ですから、友達がいないとか、みんなの輪に入れないといった悩みはありながらも、「楽しく生きる」ことが私にはできたのです。

    高校時代には恋もしました。一度好きになると徹底してのめりこむタイプですから、その女性にも何度もしつこくアタックを繰り返し、お付き合いするに至りました。同じ大学に進みたいから頑張って勉強し、彼女と結婚したいからと大企業に就職しました。

    明確な目標があると、人並外れたやる気と根性を発揮するのは、私が発達障害の一つ「ADHD」だからなのでしょう。企業では大失敗をしながらも、大きな成果を出すこともでき、なんとか射止めた彼女とも結婚できました。

    子どもが生まれてからは、乳幼児の教育に目覚めました。0歳児からの教育の必要性に気づき、幼児教室「コペル」と幼児の療育を行う「コペルプラス」を立ち上げました。現在は国内外に「コペル」約100教室、「コペルプラス」は約300以上の教室を展開しています。

    私の母がしてきたように「絶対に怒らない」「褒め続ける」をモットーに、全国のお母さまたちと一緒に乳幼児の教育に関わっています。一人一人の子どもが、それぞれの輝き方ができるようにお手伝いする今の仕事。ここに導いてくれたのも母だったのだろうなと日々感謝しています。

    大坪 信之

    OTUBO NOBUYUKI

    株式会社コペル 代表取締役/福岡大学 人間関係論 非常勤講師/一般社団法人徳育学会 会長/日本メンタルヘルス協会公認カウンセラー

    1963年福岡県生まれ。日本アイ・ビー・エム株式会社を経て、現在、子どもの瞳を輝かせ続ける徳育教室コペルの代表として心の教育を志し、様々な研究に取り組み続けている。全国各地で、子育てセミナーや子どもの潜在能力を引き出すための講演活動を通じて、たくさんの親子にアドバイスを行う。良好な親子関係を構築するファミリーダイアログなど、多様なオリジナルプログラムを開発実施して活躍している。著書に『偉人を育てた母の言葉』(致知出版社)、『あなたの言葉で子どもは育つ』(プレジデント社)、『きみの可能性は無限大』(少年写真新聞社)がある。