インタビュー

俳優・栗原類さんの個性を伸ばした母親に聞く、親の価値観を押しつけない子育て術

2022年6月18日 10:00

目次

    モデル、俳優として活躍する栗原類さんは、8歳のときにニューヨークで発達障害の診断を受けました。彼が個性を伸ばし、ポジティブな生き方ができるようになったのは、母親の栗原泉さん(下記敬称略)の支えがあったからこそです。泉さんとコペル代表大坪氏(下記敬称略)との対談をお届けします。

    類さんの診断会議で最初に言われた衝撃の言葉

    大坪>
    幼い頃の類さんは育てやすかったそうですが、お母様として気になるところはありませんでしたか? 

    栗原>
    赤ちゃんの頃はよく寝てよく食べる子で、楽させてもらってる感覚でした。小学校で「類くんは成長が遅れている」と指摘されたときも、実は私は困っていなかったんです。

    大坪>
    類さんの発達障害が診断されたのはアメリカに住んでいらしたときと聞きました。どのような状況だったんですか? 

    栗原>
    ニューヨーク市の教育委員会の代表や、児童心理学者、精神科医、他校の教諭など多くの人が集まった会議で決定されました。そのとき、ほぼ満場一致で断言されたのが「お母さん、あなたは典型的なADHDです」という話でした。確かに子どものころから情緒的に未熟でコミュニケーションが苦手だったので納得はできました。

    大坪>
    先にお母様が診断されてしまったのですね。 

    栗原>
    そうなんです。類については、私とはまったく違うタイプだから、母親と同じと思ってはいけないと指摘されました。

    「あなたが小さなころにできたことを必ずしも類くんができるわけではない。ご自身ができたことを求めるのではなく、あなたが苦手だったこと、よく叱られたことのなかで、類くんにはできることを見つけてあげてください」と言われました。

    確かに私は小さい頃からわりと何でもできてしまうタイプで勉強なんかは苦労した経験がなくて。でも類は私が持っていない「穏やかで誰とでも平等に接する」面がある。それに気づいて「できないこと」に目を向けなくなりました。

    大坪>
    類さんに診断がついたことでショックは受けませんでしたか? 

    栗原>
    もちろん告知はショックでした。私がイメージしていた成長とは違ってしまうという漠然とした不安はありました。ただ類にできないこと、苦手なことが多い理由がはっきりしたので、これで対策が立てられる、新たな局面を迎えたという気持ちでした。

    アメリカと日本で全く異なる発達障害児に対する接しかた

    大坪>
    アメリカと日本では発達障害に対して学校や周囲の反応は違うのでしょうか。 

    栗原>
    どこの教育がいちばんということはないと思いますが、違いは感じました。

    アメリカでは集団行動のできない子は社会科見学や遠足には連れて行ってもらえません。罰を与えるという感覚ではなく、安全管理を重視してのことです。

    何人かそういう子がいましたけれど、最後に連れて行ってもらえるようになったのが類でした。でも、社会科見学に全員が行きたいわけではないし、先生の指示に従って行動するのが苦痛な子もいますから、間違ったやり方ではないですよね。

    大坪>
    日本は何でも同じが良しとされますよね。私もADHDですけれど、「気をつけ、礼」がちゃんとできないと叱られて、何度もやらされました。自分では何が間違っているかわからないから、意地悪されているとしか思いませんでした。

    栗原>
    画一的ですね。日本の保育園に通っていたときに「類くんは砂場で、砂に水をかけるとベタベタして嫌だと触らなくなります」と先生から言われまして。 

    嫌なものは嫌なんだから仕方ない、サラサラの砂で遊んでいるんだから放っておいてくれれば良いのにと思いました。もしかしたらサラサラの砂だって触りたくない子もいるかもしれません。

    結局「教育者側の都合に合わせて動く子」であって欲しいという要求しか見えてこないですよね。いろんな子がいていいし、それに配慮するのが大人のはずなのに。

    大坪>
    私も椅子にじっと座っていられなくて、母が何度も学校に呼び出されていました。そのたびに頭を下げてくれていましたが、母は私をまったく叱らなかったんです。「あなたはいい子」って褒めてくれるだけで。

    栗原>
    素晴らしいお母様ですね。 

    大坪>
    兄にはものすごく厳しかったんですよ。「お母さんがいなかったら、お前はこんなふうに育ってないよ」といまだに兄からは言われます。

    栗原>
    大坪さんのお母様のように、子どもの特性をよく見てあげて、その子に必要なものは何かを見極めることが子育てでいちばん大切ですね。 

    子育ては20年で終わらせなくていい

    大坪>
    私は周りの子と同じとことができなかったり、感覚や知覚が違ったりという個性は「強み」と確信しています。周りからの理解は少ないかもしれないけれど、他と差別化できるところにエネルギーを注げれば伸びる子はたくさんいますよね。

    栗原>
    おむつがとれないとか、言葉が遅いとか、成長のスピードで悩まれている親御さんもいますが、その子なりに必ず成長します。 

    大坪>
    類さんが良い面を伸ばすことができたのも、お母さまが類さんを認めてあげていたからですよね。最後に、今、発達障害のお子さんを育てている真っ最中の親御さんにメッセージをお願いします。 

    栗原>
    子育てを20年で終わらせようとすると、20歳までに「あれもこれも」できるようにしておかなければいけなくなって辛くなります。今できないことも「生きている間にできるようになればいい」とのんびり構えて、お子さんの良い面に目を向けてあげてください。 

    大坪>
    今の状態がずっと続くわけではなく、どの子も成長していきますからね。貴重なお話をありがとうございました。

     

    ◎書籍情報
    『ブレない子育て 発達障害の子、「栗原類」を伸ばした母の手記』

    著者:栗原泉
    発行:2018614
    出版社:KADOKAWA
    判型:単行本 

    我が子に今必要なものは? じっくり観察する、親子で乗り越える
    発達障害を公表した、モデルで俳優の「栗原類」氏(23)の母が自身も発達障害と告知されながら、シングルマザーとして、我が子をどのように育て、導いてきたかがわかる、感動の手記。

    「類が8歳のとき、NYで発達障害だと診断されて、どんな弱点や苦手があるのか、じっくり観察するところから、私の発達障害の勉強と理解は始まりました。」(本文より) 

    類氏の小学1年での留年や、帰国後中学での不登校、高校受験の失敗など、様々な困難や壁を乗り越えながら、「ネガティブすぎるイケメン」として注目を浴び、モデル・俳優として歩み始めるようになった現在まで、傍らで常にサポートしてきた。

    2016年に発表した類氏の自伝的著書、『発達障害の僕が輝ける場所をみつけられた理由』(KADOKAWA)15万部のベストセラーとなった。

     本書では、母の泉氏が試行錯誤しながら実践してきた、ブレない子育てのための「8つのマイルール」を書き下ろした。発達障害の子育てに限らず、すべての子育てに役立つヒントが満載。 

    母を誰よりも信頼する息子「類氏」との対談も収録。

    栗原泉

    kurihara izumi

    通訳・音楽ジャーナリスト

    通訳・音楽ジャーナリスト。モデル・俳優として活躍する栗原類の母。24歳の時、ロンドンの音楽学校で、類の父となる男性に出会うが、価値観があわず別れた後に妊娠を知る。ひとりで育てると決心し、25歳のとき日本で類を出産。その後、フリーランスで通訳を始める。子育てにふさわしい場所を検討し、類が5歳の時、NYに移住。類が8歳の時、発達障害と診断され、その審査会の場で、自身も発達障害であると知る。類の小学1年での留年や、帰国後中学での不登校、高校受験の失敗など、様々な困難や壁を乗り越え、類が、「ネガティブすぎるイケメン」として注目を浴びたのち、モデル・俳優として活躍する現在まで、障害ととことん向き合い、親子で乗り越える。著書に『ブレない子育て 発達障害の子、「栗原類」を伸ばした母の手記』(KADOKAWA)(https://amzn.to/3mgwkPB)がある。